寄り添うことの大切さ~ある寮生家族の葬儀を通して~

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 私は2010年度から2013年度までの4年間、新潟市にあるキリスト教主義の学校、敬和学園高等学校で教師としての働きを担っていました。私は聖書の授業も担当していましたが、それ以外に学校の構内にある男子寮の担任も担っていました。

作法よりも大切なこと

 ある時、私の寮の寮生が実家に帰り、しばらく寮に戻れない時期がありました。電話で理由を聞くと、「母親の体調が悪く病院に入院しており、できるだけそばで支えたい」とのことでした。とても大切なことですし、「とにかくお母さんに寄り添ってあげて」と伝えました。しかし、それからしばらくして、家族の献身的なお支えもありましたが、そのお母さんが亡くなられました。お父さんから連絡をいただき、お母さんの訃報に接し、その寮生やご家族になんと言葉をかけて良いのかと悩みました。お父さんから、「息子が大きなショックを受け、しばらく学校にも寮にも戻れそうにありません。申し訳ありません」との言葉を受け取りました。

 お母さんを亡くした寮生には、同じ寮に19名の仲間(同じ学年の仲間)がいました。彼らも心配していたので、お母さまが亡くなられたことを伝えました。伝えながら、「自分には、自分たちには何ができるのだろう」と思いながら、できることが見いだせない自分の不甲斐なさを感じていました。すると、19名の寮生が、「お母さんのお葬式に参加したい」と申し出てくれました。お葬式は新潟県内で行われるので、私がマイクロバスを運転し、19名の寮生を連れてお葬式に参列しました。キリスト教式のお葬式ではなく、仏式のお葬式でした。初めてお葬式に参列する寮生も多くいましたが、見様見真似で正座をしながらお葬式に参加していました。もしかしたら、作法など間違ったものもあったかもしれません。しかし、それ以上に大切だと思ったのは、19名の仲間たちが駆け付けてもらえたことで、お母さんを亡くした彼も彼の家族も大きな慰めを与えられたということです。

 焼香を済ませ、出口の近くに涙ながらに立つ彼に、19名が一言ずつ言葉をかけていました。「俺らも家族だから」、「祈ってるよ」、「寮に帰って来いよ」、「思い切り泣け」など短い言葉ながらも、寮生の思いの詰まった言葉を聞き、私自身も慰められているような気持ちになりました。また、彼らの言葉を聞き、「そうだ、何もできないのではなく、寄り添うことや祈ることはできる」と大切なことを思い出させてもらいました。

葬儀に参列するという寄り添い

 キリスト教の葬儀でも、葬送式(礼拝の形のお葬式)を終え、参列者がお焼香ではなく、献花(けんか)をします。献花にもいくつかの形があるのかもしれませんが、私が担った葬儀では、一本のお花を手渡され、祭壇の前にある献花台に花を置き、黙祷します。黙祷とは、目を閉じ、手を合わせて少しだけ心の中でその方を思い、祈ることです。そして、献花の後、前の方に並んでおられるご遺族に言葉をかけたり、一礼をします。ご遺族の席は最前列なので、葬儀が始まると、後ろを振り返ることはありません。なので、どなたが葬儀に参列されておられるのか、全員を把握できていないことがほとんどです。献花の後に順番に声をかけてこられたり、一礼される参列者を見て、「来てくれたのですか」、「この方も来てくれていたのだ」という反応をされておられるご遺族をよく見かけます。葬儀に参列してくださる一人一人が故人や残されたご遺族を「覚えてくれている」、「寄り添ってくれている」というのは何よりも大きな慰めになると思います。

 大切な方を失うのは、本当に大きな痛みです。なかなかその痛みや悲しみを和らげることはなかなかできないでしょう。しかし、それでもほんのわずかの慰めになるのなら、葬儀に参列するという寄り添いや悲しみの中にあるご遺族を覚えてお祈りすることは、意味のあることだと思います。さまざまな事情で葬儀に参列できない場合は、弔電で言葉を届けるのも良いでしょう。キリスト教式の弔電や弔電のためのキリスト教の言葉の例なども弔電を申し込むページなどにも掲載されています。

 後日談ですが、お母さんを亡くした彼は、翌週に寮に戻ってきました。「大切なお母さんを亡くした悲しみはなかなか無くならないけど、僕には寮にも家族がたくさんいることに気付きました」と言っていました。また、お母さんを亡くした彼が敬和学園高等学校を卒業した時、「一番辛かったあの葬式に、19人と先生が来てくれなかったら、きっと自分は寮も学校も辞めていました」と言っていました。19人の寮生と私が何か特別なことをしたわけではないと思っています。しかし、それでも、駆けつける(葬儀に参列する)、言葉をかけるという寄り添いが、ある人にとっては、もう一度一歩踏み出すための大きな力になるのだと感じました。私は、今は敬和学園高等学校を辞任し、教会の牧師を担っていますが、その出来事があり、葬儀の度に、私も牧師の働きを担うという形で天に召された方をお送りするのと共に、“ご遺族に寄り添う”ということを特に意識し、大切にするようにしています。

三浦啓
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