キリスト教葬儀では賛美歌を歌う
キリスト教の葬儀はキリスト教の礼拝形式で行われますので、そこでは通常の礼拝と同じように賛美歌が歌われます。賛美歌とは字の通り、神さまを賛美するための歌です。賛美歌は基本的に私たち人間が神さまに捧げる歌ですが、不思議なことに私たちは賛美歌を歌うことを通してその歌詞や旋律に慰められ、癒される経験もします。
ここではご葬儀でよく歌われる人気の賛美歌を3つご紹介します。ここで紹介する賛美歌を通して、多くの人が大切な人を喪った悲しみの中で神さま(イエスさま)に慰めと癒しを与えられました。
その1「いつくしみ深い」
キリスト教会で最もよく歌われる賛美歌の一つがこの「いつくしみ深い」(『讃美歌21』493番、日本基督教団出版局1997年)と言って良いでしょう。「親が教会に通っていて、自分は子どものころに教会学校(注:子ども向けの教会教育プログラム)に行っていただけだけど、一番好きなのは『いつくしみ深い』だから葬儀の時はこれを歌ってほしい。」そのようなリクエストが多いのがこの賛美歌です。
それは故人にとっていつかは死ななければならないという恐怖や悩み、苦しみを神さまの手に委ねられるという慰めを得られるからであり、また愛する人を喪った遺族の嘆き悲しみをも神さまの手に委ねられ、常に励ましを得られる幸いを歌っているからでしょう。
その2「主われを愛す」
この賛美歌(『讃美歌21』484番)もよく歌われる一つです。讃美歌集『讃美歌21』を開くと文語訳と口語訳があり、皆さん圧倒的に文語訳の「わが主イェス、わが主イェス、わが主イェス、われを愛す」に親しみがありますが、実は原詞を見ると口語訳の方がより忠実に原詞を表しています。
原詞では「そうです、イエスさまが私を愛してくださることを私は知っています!そうです、イエスさまが私を愛してくださることを私は知っています!そうです、イエスさまが私を愛してくださることを私は知っています!聖書が私にそう教えてくれています。(Yes, Jesus loves me! Yes, Jesus loves me! Yes, Jesus loves me! The Bible tells me so.)」と繰り返します。
多くの人は死ぬ時にこれまで手にしてきたものを手放さなければなりません。力も地位も名誉も記憶も。しかしたとえすべてを失ってもイエスさまが私を愛してくださっていることは残るのです。「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」(新約聖書・コリントの信徒への手紙一13章13節)という聖書の言葉通りです。
その3「球根の中には」
先に紹介した2つの曲は19世紀の賛美歌で、主に年配の方に人気の賛美歌でしたが、「球根の中には」(『賛美歌21』575番)は20世紀に作られた比較的新しい賛美歌です。働き世代など比較的若い世代の方に人気の賛美歌です。球根の中に花が秘められ、さなぎの中から蝶がはばたくように、私たちの地上の命が終わった時に新しい命(復活の命)が始まることを歌う内容です。
イエス・キリストの復活そして私たちの復活はキリスト教信仰の要ですが、それを理解し受け入れるのは難しいものです。イエスさまは「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば多くの実を結ぶ。」(新約聖書・ヨハネによる福音書12章24節)と言われました。
死んだ後に新しい命が生まれることは植物の世界に目を向けるとそうだなと思えるのではないでしょうか。イエスさまはこのたとえを用いて「私たちの地上の命もいつかは終わりを迎えるけれど、死んだらおしまい、何も残らないのではなくたくさんの人の心に種を蒔いて豊かに実らせることができるんだよ」と教えてくれています。そのことがすーっと心に入ってきて慰めを得られるのが「球根の中には」だと思います。
その他にもご葬儀にふさわしい賛美歌はいっぱいあります!
葬儀でよく歌われる賛美歌を3つご紹介しました。この他にもキリスト教葬儀にふさわしい、慰めと癒し、希望を与えられる賛美歌がたくさんありますので曲名だけご紹介して終わりたいと思います。なお曲番はすべて『讃美歌21』の番号です。385番「花彩る春を」、112番「イェスよ、みくにに」、569番「今やこの世に」、465番「神ともにいまして」、451番「くすしきみ恵み」、434番「主よ、みもとに」。