ご葬儀依頼の電話
あれは教会メンバーのご葬儀が無事終わり、緊張感から解放されてほっと胸を撫で下ろしていたところでした。次の日曜日の礼拝の準備をしようとデスクに向かうとすぐに電話が鳴りました。「〇〇(当時私が働いていた教会がある町)に住んでいる親が亡くなりました。私は今は関西に住んでいて△△教会のクリスチャンです。〇〇に住んでいた頃は何度かそちらの教会の礼拝に出席させていただきました。父はクリスチャンではありませんがキリスト教式で葬儀をしたいと考えています。先生(牧師)、お願いできないでしょうか。」
ご葬儀の打ち合わせでは時間をかけて故人の思い出を聞く
私はこの葬儀のご依頼を承諾し、教会役員会の事後承認を得ました。そしてご遺族の方に教会までお越しいただき、ご葬儀の打ち合わせを行いました。打ち合わせではご葬儀の日時・内容など重要な事柄を確認しますが、それ以上に時間をかけて丁寧に故人のこと、思い出、ご葬儀で触れて欲しいエピソードなどを伺いました。ご遺族の方は時折涙を流しておられましたが、大切な親との思い出を語る時間は悲しみの中にあって自分の心を整理する良い時間となったようです。話が弾み、1時間半〜2時間の打ち合わせのうち半分以上は故人のお話を伺ったように思います。
ご葬儀当日 〜悲しむ人々は、幸い〜
ご葬儀当日は打ち合わせ通りの順序で滞りなく葬儀式が進みます。聖書を朗読し、10分程度の式辞を述べ、その中で打ち合わせの際に伺った印象的なエピソードを紹介し、聖書に基づいて神さまからの慰めを分かち合いました。故人の2人のお子さんは涙を流しながら何度も頷いておられました。葬儀、火葬を終えて教会に帰ると後日ご遺族がわざわざ教会に足を運んでくださり、「先日はありがとうございました。打ち合わせで話した父のエピソードをたくさん紹介してくださって、とても慰められるご葬儀でした。」そうお礼を言って関西に帰られました。イエスさまはかつて群衆に「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。」と語りました(新約聖書・マタイによる福音書5章4節)。平素この言葉を聞くと「何が幸いなのか」と思うかもしれませんが、大切な人を喪って悲しみに暮れる時、神さまが一人一人と寄り添って必要な慰めを与えてくださることを幸いだとイエスさまは教えてくださっているのではないでしょうか。
キリスト教の葬儀
ともなるでご紹介する牧師は皆様からのご葬儀の依頼にお応えし、ご遺族から丁寧にお話を伺って誠心誠意、葬儀の準備をいたします。ふだんから牧師の仕事は「聞く」ことですので何時間でもお付き合いいたします。人に話すことで気持ちが整理されるということもありますので理路整然としていなくても構いませんから故人といろいろなお話をお聞かせください。私たち牧師はそれらのお話からふさわしいものをご葬儀の中で語らせていただき、聖書に基づく神さまからの慰めを分かち合わせていただきます。