以前に働いていた教会で見送った信徒の姿から、学んだことです。
Oさんは、キリスト教徒であったご両親の影響で、ずっと教会に行くことが生活の一部でした。私が赴任したとき、すでに80歳半ばとなっておられ、色々と憶えておくことは大変になりはじめているご様子ではありましたが、速度はゆっくりではあるけれども健脚で、いつも歩いて教会へと来ておられました。その姿勢・まっすぐな信仰に、教会の皆、励まされておりましたが、持っておられた認知症は少しずつ進む部分もあり、怪我なども重なり、近隣のグループホームで日々を過ごすことになりました。

そうして何年か経ち、94歳となったOさん、彼女が神の元へ帰るときの近づいて来たこと、明らかになってきたのは2021年の秋でした。
その頃はすでに新型コロナウイルス感染症の影響で、福祉施設等へのお見舞いはかなり制限された状況ではありました。でも、その知らせを受けた際、牧師よりも長く祈り合って生活してきた2人の信徒、IさんとSさんがちょうど教会に来ていました。
「私ではなく教会の仲間たちを見舞いに送ることはできないでしょうか」
ダメ元で施設に尋ねてみました。
しばらく経って、折り返しの電話をいただきました。
「皆様そろってどうぞ。最後のときになると思いますので」
面会の部屋で
思いもしなかった寛大な返答を受け、3人で向かった施設、面会をすることができました。Oさんは青春を過ごした聖路加国際大学(当時は看護学校)の校歌、いくつかの賛美歌を思い出したように歌い、また休む…といったご様子でした。ゆっくりしたい思いはありましたが、無理にお願いして入室させてもらったわけですし、長居はできません。特に私は急ぎ確認をしておかないとならないことがありました。Oさんは医師を志していた息子さんを若くして亡くしたことから、未来世代の医療従事者のため、献体をすることに決めていました。いつもと違った動きになる葬儀が予想されます。私は娘さんとやがて来るその時に備えての打ち合わせを部屋の中、少し離れたところで始めました。

その間、IさんとSさんは、Oさんに「ありがとう」と、これまで教会で一緒に過ごしてこられたことへの感謝を伝えている様子でしたが、ふと、「主の祈りを一緒にしよう」という声が聞こえてきました。「主の祈り」とは、イエス・キリストが「こう祈ったらいいさ」と話してくれた聖書のエピソードから、今も数多くの教会で捧げ続けられているお祈りです。本当によく使われますから、暗唱できる信徒もけっこういます。日本語訳にはいくつかがありますが、その時はOさんが若い日から慣れ親しんでいた、そして教会の礼拝で用いていたためIさん・Sさんも暗唱できる「1880年訳」。祈りがはじめられ、声が重なっていきました。
天にまします我らの父よ、
ねがわくはみ名をあがめさせたまえ。
み国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく
地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
我らに罪をおかす者を 我らがゆるすごとく、
我らの罪をもゆるしたまえ。
我らをこころみにあわせず、
悪より救い出したまえ。
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり。
アーメン。
最期に一緒に祈ることができる幸せ
Oさんにとっては、最近のことを憶えるのはとても苦手になった最後の10年間だったのだと思いますが、これは身体が憶えていたのでしょう。最初から最後まで声を出すことは難しくても、2人の信徒が発する祈りの言葉に、Oさんも思いを重ねるように過ごしているのを、私は少し離れたところでの打ち合わせの中で感じていました。時間にしてわずかの面会。主の祈りだけで見れば1分もないくらいです。でも、94年の人生で求めてきたまっすぐな姿勢をまっとうするという意味で、また、最期まで一緒に祈ることを分かち合う意味で、そこにいたみんなにとって大切な時間になったと確信します。

ほとんど全部を忘れていたとしても、口ずさめる言葉、祈りがある(もちろんキリスト教的なものに限定するわけではなく)。これはきっと、幸せのひとつの形なのでしょう。