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こども園での出来事〜命に向き合う〜こどもと共に考える生と死

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 私は牧師の働き以外に、幼保連携型認定こども園の園長の働きも担っています。こども園では0歳~5歳の子どもたちが通い、生活しています。小学校就学前の子どもたちにとって、こども園(保育園、幼稚園)でこれから長い人生を歩んでいく土台がつくられていきます。それだけに、子どもたちにどのようなことを伝えていくのかがとても大切になっていきます。また、私たち大人が子どもたちに大切なことを伝えるだけではなく、逆に大切なことを教えてもらうことも多々あります。

生き物に向き合う中で

 私の園では、子どもたちに“命”の尊さや大切さについて知ってもらいたい、感じてもらいたい、考えてもらいたいと思い、毎週水曜日の礼拝やさまざまな行事、日々の保育の中で命について話したり、命について感じられる体験の機会を提供しています。

 例えば、新型コロナウイルスの影響でさまざまな行事がなくなった時期に、こども園の園庭に移動型動物園に来ていただきました。なかなか出かけることができない時期が続きましたが、園に動物たちに来てもらい、子どもたちはポニーに乗ったり、うさぎやあひる、犬、にわとり、ハムスターなどと触れ合うことができました。また、いつでも子どもたちが動物に触れ合えるように、2020年の8月から園でうさぎを飼い始めました。動物はもちろんぬいぐるみとは違うのでお世話をしなければいけません。フンの始末をしたり、エサをあげたり、小屋の掃除などを子どもたちが行っています。避難訓練ではうさぎも避難させています。大切な命であり、大切な家族の一員として扱っています。それを見ている子どもたちも、うさぎに対し、愛情を持って接し、大切な命がそこにあることを意識してくれています。生き物に向き合う中で、子どもたちは命に向き合う大切な経験を重ねています。

 小さい子は虫に対して、そこに命があるということがまだわからないことがあります。例えば、アリなどの小さい虫を踏みつぶしてしまうことがあります。それを見つけた時には、小さい虫にも大切な命があることを伝えています。ある職員は、ダンゴ虫の家族の絵本を作り、ダンゴ虫にも大切な命があることを子どもたちに伝えてくれました。

 また、あるクラスでみんなが虫に興味を持ち、“虫探しブーム”が起こりました。園庭でダンゴムシやアリ、バッタ、てんとう虫などを見つけ、それをバケツに入れて見せに来てくれます。そのクラスでは虫探しに飽き足らず、カブトムシを飼い始めました。子どもたちは毎日カブトムシの入っているケースを覗き込み、よくお世話をしていました。しかし、ある時にそのカブトムシが弱ってしまい、死んでしまいました。そのクラスの子どもたちは大切にお世話をしていたカブトムシが死んでしまったことを悲しんでいました。そのクラスで話し合い、カブトムシのお墓を作ることにしました。また、死んでしまったカブトムシをお墓(土を掘って埋める形のお墓)に納め、みんなでお祈りしました。子どもたちが真剣にカブトムシのためにお祈りをしている姿を見て、子どもたちにとってカブトムシが大切な存在であったこと、そして心から天国に見送ろうとする姿があり、子どもたちの心の中でしっかりと命の大切さが伝わっていることを感じました。子どもたちが大切な存在(カブトムシ)を天国にしっかり送りたいという思いで、子どもたちが話し合い、簡易的ではありますが、カブトムシの葬儀が行われたことはとても大切なことだと思っています。

真正面から命に向き合う子どもたち

 新型コロナウイルスの感染拡大で、園や学校では、給食時の黙食、休み時間のソーシャルディスタンス、三密など友だちや先生と一定の距離を取ることが推奨されました。触れ合うことはもちろん、話をしたり、一緒に遊ぶ時間すら奪われる中で、もしかしたら、体温計で毎日のように熱を測ることをしながらも、周りにいる人たちに血が通い、触れれば温かさがあることを忘れてしまうような数年間を私たちは過ごしました。新型コロナウイルスの影響で亡くなる方の人数が数字として報道される毎日の中で、「どこか私たちは命について鈍感になってしまっているのではないだろうか」と思うことがあります。

 私も牧師として葬儀を執り行いますが、一人の人を天国にお送りするのに、ものすごくエネルギーが要ります。それは葬儀の準備が大変、ということではありません。それまで共に過ごしてきた大切な人と地上での別れという大きな悲しみを抱えながら働きを担うからです。キリスト教では、私たちが地上での歩みを終え、天国に迎え入れられる時に、天国に先立った方々と再会できるという希望が与えられています。なので、地上での別れは一生の別れではありません。しかし、それでも、それを理解していても、牧師も大きな悲しみを覚えます。その一方、私たちは毎日の生活の中で、周りにいる家族や友だち、知人など、そこに生かされている人たちとの時間が無限にある、生かされているのが当たり前と感じてはいないでしょうか。命を粗末にしているわけではなくても、命の尊さや大切さを確認することなく生活してはいないだろうかと思うのです。

 こども園で子どもたちが命(虫、どうぶつ、友だち、家族など)に対し、真正面から向き合う姿に、私たち大人もしっかり命に向き合うこと、生かされていることに感謝すること、周りの人たちと共に生きることをもっと意識し考えていきたいと日々教えられています。その人の地上での最期となる葬儀を大切に執り行うことも大事ですが、それと同じくらい、与えられている命を大切に、そして周りにある命を尊ぶ歩みを進めていきましょう。

三浦啓
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