作: ジャッキー・アズーア・クレイマー
絵: シンディ・ダービー
訳: 落合 恵子
発行:クレヨンハウス
「ママはどこにいったの?」「いつになったらかなしくなくなるの?」
愛する人の死は、悲しみとともに戸惑いをもたらします。とりわけ、ちいさな子どもたちにとっては、「死」ということを受けとめていくのは難しいことです。
愛する人の死を悲しみ戸惑う人がいたら
もしも、あなた自身とあなたの周りに、愛する人の死を悲しみ戸惑う人がいたら読んでもらいたい作品が『悲しみのゴリラ』です。水彩画のやわらかなタッチが心に染みる作品です。
絵本を開くと、ママのお葬式に参列する男の子がそこにいます。葬儀を終えて男の子とパパの二人だけの生活が始まります。
ママの思い出が残るお庭で、一人さびしそうにしている男の子。そのもとに一頭のゴリラが現れます。男の子はゴリラに「ぼくのママ、しんだんだよ」と話しかけます。ゴリラは、「そうだね、しってるよ」とそっと返事をします。ゴリラは男の子のいくつもの問いかけに、優しく答えていきます。男の子はゴリラとの対話をとおして悲しみと向きあっていきます。
人の死は誰にだって悲しいこと
この絵本はそれだけでは終わりません。ある日、男の子は部屋で一人泣いているパパを見つけます。ママを喪った男の子が悲しいように、パパもまた、もしかすると男の子以上に愛する人を喪った悲しみと戸惑いを抱えていたのです。
悲しみと戸惑いを抱えた二人は抱き合います。そのページにはこんな言葉が記されます。
「ママにあいたい」
なかなか言えなかった心からの嘆きの言葉です。
心の嘆きを隠すことなく出し合い、抱きしめ合う二人を悲しみのゴリラが大きな手と体で包み込みます。
愛する人を亡くした悲しみは無くなるものではありません。けれども、同じように悲しみを抱える者と分かち合うことで、戸惑いには新しい形と色が与えられていきます。
お話しの最後、夕日に消えていくゴリラの姿が、男の子とパパの新たな一歩、悲しみを抱えながらも共に歩んでいく新しい一歩を思わせてくれます。わたしたちは、悲しみを抱えながらも、新たな一歩を踏み出せるのです。同じ悲しみを抱える者同士で共に。