「人が大人になるのは、親が死んだとき」?

自死 アーメン キリスト教 教会 宗教 葬儀 牧師 神父 礼拝 死 命 復活 聖歌隊 祈り 十字架 尊厳死 聖書 ポーランド 移民

 以前に勤めていた教会近くのお好み焼き屋さんで、近所のメンバーで他愛もない話をしていたときのこと。確か「もうアラサー」「もう中年」だとか、年齢の話をしていたんだろうと思います。そんな中での店長(店長自身も「近所のメンバー」と言うのが適切な関係でした)の一言は今でも時々思い起こします。

「人が大人になるのはね、親が死んだときよ」。

 独り立ちの一つの意味は、単なる年齢の重ねだけではなく、親との地上での別れのときにあるというのは、確かに真実のいち側面を示しているのかもしれません。

 私はその場にいたメンバーで最も若い世代でしたが、すでに両親を天に見送っていました。学生を終えて1年やそこらでしたので、自分で「ひよこ感」があるなぁと思っていたところ、どうも大人として認めてもらったという思いもしたのでしょうか。よく記憶しています。実際、「その若さでだもんね」というようなありがたいお声掛けもいただきました。

 しかし先日、再びふっとその場面が思い出されたとき、違った場面も重なって脳裏に浮かんできたのです。そういえば…。父が逝去するとき、当時20歳の私に同じような言葉かけをしてくれた人がいた。そのことを思い起こしました。

でも、父の死を前にして言われたその文脈はいわゆる「ちゃんとしている」という意味での「大人」では全くありませんでした。

父の死を前にして

 私が大学の牧師養成学部3年生だったころ、父親に珍しい病が見つかり、即日入院、慌ただしく最期の準備をすることになりました。

 自分では「(父もキリスト教徒であるとの自覚を強く持っているし、)牧師になるための実地研修にしてやろう」と意気込んで、弟と二人、故郷に帰ったのですが、病室で寝ている父を見ると「祈ってあげよう」などという言葉は全く出てこず。父の、「この人生はまぁまぁだったな。いちおう(君たち兄弟を)育て終わったから」という一言にただ涙がでてきてしまう、という状況でした。

 親の死を前にして、「立派な大人」と通常イメージに浮かんでくるような行動は特にできなかったのです。

私の弱音、先生のひとこと

 最期の1週間ほどになるであろうお見舞いの日々とは言え、食事・就寝まで付き添うことにはなりませんでしたから、多少なりとも事情を知る懐かしい人々が私たちをお茶や食事に招いて、一緒の時間を過ごしてくれることもありました。

故郷に着いて数日後、小学校1年生の頃からお世話してくれていた絵画教室の先生が私たち兄弟を招いてくれたときのことです。

 「帰ってきてから、もう何度も泣いてしまったな」と私がつぶやいたのを聞いた先生がひとこと。

「『泣いてしまった』と隠さずに言える君にとても成長を感じているよ」。

 この先生の言葉に、とても心が軽くなりました。

「泣き言」を言えるのが大人になる?

 泣いてもいい。涙を隠さなくてもいい。悲しいとき、悲しいと言ったらいい。実はこれが「大人」の一つの表情なのかもしれません。

 「泣く」意味はいろいろありますが、その一つに「自分ではどうにもできないものを知る」ということがあると思います。自力でなんとかしようとし過ぎるのをやめる、とも言えます。親を見送るときこれを味わうから、人は大人になれる、ひとりの人として神の前に立てると表現できるのかもしれませんね。

「力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」

だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。

―コリントの信徒への手紙二 12章9節より

苦しい時には

苦しんだがいい

悲しい時には

悲しんだがいい

 ということばが

 何時か 私を解放する

 唯一の鍵になっていた

―志樹逸馬「鍵」(若松英輔編『新編志樹逸馬詩集』、亜紀書房)

小野輝
トップページ 牧師コラム 「人が大人になるのは、親が死んだとき」?