キリスト教葬儀における服装について-喪服を着ると失礼になるって本当?

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キリスト教葬儀の一般的な服装は?

 キリスト教の葬儀でも、仏式と同様、服装については黒の喪服を着用するのが一般的です。そこに真珠のネックレス、イヤリングなどのアクセサリーを身に着けても構いません。

突き詰めて考えれば……

 しかしキリスト教の葬りについての考え方を突き詰めていくと、決して葬儀の服装は黒の喪服ではなくてよいのかもしれません。実際アメリカの神学者が、なぜ葬りというとキリスト者も黒い喪服を着るのかという疑問を投げかけています。白い衣服の方が良いではないかと言うのです。

 この人がそのように言う時、そこにはきっと初期のキリスト者たちの葬りのことが思い起こされているのでしょう。葬りとは文字通り、息を引き取った仲間の肉体を処置することです。つまり墓地まで運んで(当時の習慣では)土葬にすることを意味していました。そこでは死者を墓地まで運ぶことが大切なこととなります。

 公然と、人々の見ているところでどのような葬列を整えるか、それが葬る者たちの心の姿勢を表すものとなりました。その頃、一般に葬列は夜のものでした。棺を運ぶ者たちは黒い服を身に着けました。このように葬りは、当時一般的には闇の行為だったのです。死は闇だとしか考えられなかったからです。

 しかし、キリスト者たちは違いました。明るい日中に葬列を造り、人々は白衣をまとったのです。そして棕櫚の枝を打ち振り、ハレルヤを歌いながら墓地に赴いたと言われます。イエス・キリストの十字架の贖いによってすべての人々に永遠の命が与えられた。死は復活、永遠の命の入口であり、神様の御許に召されたこの人は死んでも神様のもとで蘇って生きており、安らかに永遠の命に憩っているのだ。そのことを喜び、神様をほめたたえるという信仰がそこにはあります。復活のいのちを歌い、死者と共に光の中を歩んだのです。

 そのことを考えれば、葬りにおいて黒の喪服で悲しみを表現するのはおかしい、初期のキリスト者のように白の衣服で喜びを表現し、神様をほめたたえるべきだとこの神学者は言うのでしょう。

では、葬儀の服装は?

 それはそれで、一理あります。ただこれに対して加藤常昭という日本の神学者は、たしかに「黒い衣服に限るということはない」としながらも、「黒の衣服を捨てることまでしなくてもよいと思う」と述べています。キリスト教では先程のような葬りに関する信仰があるといえども「愛する者の死は悲しいことですから、今は死と向かい合っているということを表す衣服として喪服はあり得る」と言うのです。しかしいずれの服装をするにせよ、葬儀というのが「復活の主を仰ぎ見る礼拝行為であることは明らかにしたい」と語っています。

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 このように葬儀の服装については、キリスト教の中でも様々な議論があります。とはいえ、私の経験からするとやはり日本のキリスト教の葬儀においては黒の喪服で出席するのが一般的なように見受けられます。「故人の遺志により、平服でお越しください」というようなことが言われていなければ、黒の喪服で伺った方が無難でしょう。

北村智史
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