キリスト教の葬儀と言っても普段教会に来られない方や、キリスト教の葬儀に出席したことのない人にとっては謎に包まれていて、想像もつかないことだと思います。そう言った方々に向けて、今回は実際に私が牧師をしている教会であった葬儀のケースを紹介しながらキリスト教葬儀について紹介をしていきたいと思います。
突然にやってくる「その時」
ある日、ある教会員さんに教会での当番について問い合わせの電話をしたことから始まります。この方Hさんはとても明るい方でいつも大きな声で元気よく返事をしてくださるので、少しテンション高めの声で電話で挨拶をしました。するととても元気のなさそうな声で答えられたのでどうしたのかなと思っていますと、今朝ご主人が亡くなったとのことでした。あまりの突然の出来事に戸惑いを感じておられ、これからどうして良いかわからないとのことでした。ご自宅で亡くなったので現在警察の検死が行われており、葬儀については何も考えておられなかったそうでした。また、Hさんはキリスト教徒でしたがご主人はキリスト教徒として登録をしていなかったので、キリスト教葬儀が出来るのかという不安もあったそうです。
とりあえず、落ち着いてくださいねとお声がけをし、教会でいつも丁寧な葬儀の準備をしてくださる葬儀社を紹介した上で教会でキリスト教葬儀が行えることをお伝えしましたところ、少し先が見えたようで安心された様子でした。
キリスト教の葬儀はこうして進む
キリスト教会では、会員になっているなっていない、またキリスト教徒であることに関わらず、全ての人は神様の子どもとして愛されており、招かれていると信じています。ですので、どなたでも葬儀をすることが出来ます。
葬儀社の方がHさんと連絡をとってくださり、検死が終わり次第葬儀社さんのスペースにご遺体を移動しました。そのタイミングで時間を調整し、牧師が枕辺の祈りをお捧げしにいきました。枕辺の祈りとは、死者の枕辺に立ち、これから葬儀を行うにあたってご遺族と共に神に祈りを捧げる備えの式となります。そしてご遺族とご挨拶を交わし、後日納棺式を行う日程を合わせます。納棺式は季節や天候によって時期が変わります。ご遺体を綺麗に保つために、湯灌や化粧が行われますので業者さんの日程に合わせてできるだけ早く納棺を行います。納棺式では簡単で皆が知っている讃美歌を歌い、聖書の慰めの言葉を聞きます。
その後で亡くなられた方の略歴や、ご家族の思い出のお話、どんな人であったのかという人柄について丁寧にお聞きする時間を設けます。そして葬儀ではその時にお伺いしたお話を元に、故人の生涯を振り返りつつ、神様がその方とどのように共に歩み、愛してくださったのかを、わかりやすい言葉で聖書の言葉と共に参列された皆さんと共有をいたします。
Hさん、そしてご親戚の方々も、キリスト教葬儀をとても良かったと慰めを受けておられました。何よりも初めのところから寄り添ってくれたことにとても感謝をされておられました。
礼拝としてのキリスト教葬儀
キリスト教葬儀とは、神様に捧げる礼拝として行います。キリスト教の信仰では、天に召された方は、神の元へとかえるのだと信じております。つまり、私たちが生きるこの世界、苦しみや悲しみ、苦労のない本当の平安の中に置かれていると信じているのです。ですから、今故人は一番良いところ、神様のところに行かれたのですと説明をいたします。その上で、故人を私たちに与えてくださった感謝と、故人と神が共に生きてくださったことへの感謝を礼拝として神に捧げるのが、キリスト教葬儀と言えるでしょう。
ですから、キリスト教葬儀(礼拝)にまつわる謝礼は献金ということになります。献金は、神様に感謝のしるしとしてお捧げするものです。ですので金額の大小で何かが変わるということはありませんし、故人が神に愛されているということは揺るぎません。ともなるでは、葬儀の料金を記載していますが、これは一つの目安と考えると良いでしょう。 キリスト教葬儀では、故人が天に召されたところから、火葬に至るまで、共に祈り、寄り添う事を大切にしています。その中で故人の思い出を共有し、神様の言葉を聞きながら皆様に慰めがあるようにと祈り続けます。もし、葬儀について悩みや不安を抱えておられるのでしたら、「ともなるへご相談ください。誠意をもって皆様の質問にお答えいたします。