私たちは、キリスト教葬儀への牧師派遣、ともなる事業を行なっています。ここでは、実際にともなる事業から依頼を受け、キリスト教葬儀を執り行ったAさんのケースを紹介しましょう。
ご遺族の困惑と判断
Aさんは90代の男性クリスチャンでした。人間関係の問題で、通っておられた教会からはしばらく遠ざかっておられたそうです。なので、Aさんが亡くなられた時、ご遺族は困りました。その教会に葬儀を依頼することはAさんの本意ではなく、さりとてキリスト教以外の宗教で葬儀を行うのもAさんを見送るのにはふさわしくないと。そこで、葬儀会社に相談したところ、ともなる事業を紹介されたのです。実は、Aさんは日本キリスト教団以外の教派に属しておられました。しかし、ご遺族の了承を得て、日本キリスト教団牧師である私が派遣されることとなりました。
ちなみに、キリスト教は幾つかの教団・教派に分かれていますが、ともなる事業では教団・教派を問わず、クリスチャンのキリスト教葬儀を受け付けています。もちろん、クリスチャンではない方のキリスト教葬儀も承っております。
Aさんの人生
Aさんはサミュエル・ウルマンの詩「青春」を座右の銘にしておられました。「青春とは、人生のある期間を指すのでなく、心の持ち方を指すものである」。何歳になっても心を高く上げ、生きることの喜びを味わわれたお方でした。旅とゴルフ、テニスを愛し、山や川に出掛けるアウトドア派でいらっしゃいました。何より人との会話が大好きなお方だったそうです。そして、妻Bさんをこよなく愛された方でした。Aさんがキリスト教信仰に入ったのも、Bさんの影響が大きかったそうです。Aさんの単身赴任中、Bさんは寂しい日々を送っておられましたが、ある日、電車の車窓から見えた教会の十字架に心魅かれました。Bさんは、かつてミッションスクールに通われており、チャペルの時間に讃美歌を歌い、聖書のお話を聴いたこと、あの時の心の平安を懐かしく思い出されたのでした。そして、勇気を出して教会の門を叩き、それから礼拝に出席されるようになりました。以後、夫Aさんも誘って、ご夫妻で礼拝に出席されるようになり、やがてお二人そろって洗礼を受け、クリスチャンとして信仰生活を始められました。
Aさんは健康そのものの人生を歩まれましたが、晩年は幾つもの病魔に襲われたそうです。特に、脳梗塞を発症され、後遺症として半身不随になられたことは、いろんなことにチャレンジし、積極的に人生を楽しんでこられたAさんにとってはとても辛い出来事でした。アウトドアを楽しむことが出来なくなられました。また、あれだけお話が大好きでいらしたAさんが、後遺症によって会話を楽しむことができなくなってしまわれたのです。さらに、辛い出来事が続きました。最愛の妻Bさんを先に天に送るという悲しみを味わわれたのです。長年連れ添ったパートナーを喪うことは、最も辛い死別の悲しみだと言われます。このように、晩年のAさんはこれまで人生で与えられてきた大切なものを一つ一つ手放していかなければなりませんでした。
最後まで残るもの
一つ一つ出来ること、大切なものを奪われ、失われていくAさんが、病院のベッドの上で何を思い、過ごしてこられたのかを想像しました。Aさんの中に最後まで残ったものは何だったのでしょうか?それはキリスト教信仰ではなかったでしょうか。
聖書にこのような詩があります。「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない」(詩編23篇1節)。この詩人は何の悩みも無い人生を送ってきたからこのような詩を歌えたのでしょうか?そうではありません。死の陰の谷を行く時がありました。災いの時がありました。苦しめる者を前にした時もありました。しかし、羊飼いなる主(神様)が私と共にいて下さり、力付けて下さったから、また日々の食卓を整えて下さり、私の杯を溢れさせて下さったから、「わたしには何も欠けることがない」と告白することができたのです。キリスト教信仰は、信仰を持てば人生の苦しみや悩みが一気に解決するという信仰ではありません。たとえ人生の苦しみ、悩みの中にあったとしても、それらを一緒に背負って歩んでくださる神様がいつも共にいて下さり、それ故に苦しみの中にも平安が与えられ、それらを乗り越える勇気と力を与えて下さることを信じるのがキリスト教信仰なのです。
さらに、詩人は歌います。「命のある限り、恵みと慈しみはいつも私を追う。主の家に私は帰り、生涯、そこにとどまるであろう」(同6節)。生きている間は、苦しみの中にも神様の恵みと慈しみが私を満たして下さった。そして、やがて私の命が奪われる時、私は平安に満ちた主の家(天の御国)に帰るであろうとの希望が歌われています。これこそ、晩年のAさんがベットの上で抱いておられた信仰ではなかったでしょうか。
キリスト教葬儀のすすめ
終活などで葬儀をお考えの皆さんの中にも、Bさんのように、ミッションスクールで学ばれ、聖書や讃美歌に懐かしさを感じ、心の平安を覚えておられた方がいらっしゃるかもしれません。あるいは、Aさんのように、いろんな事情で自分の教会に葬儀を依頼できない方がいらっしゃるかもしれません。そんな方はぜひ神様の平安と天の御国への希望に満ちたキリスト教葬儀を選ばれることをお勧めいたします。きっと、あなたの人生に働かれた神様への感謝と、天の御国への希望に満ちた、いつまでも心に残る葬儀となることでしょう。