先日、恩師の葬儀に出席しました。日頃は牧師として葬儀を執り行う側ですが、久しぶりに葬儀の参列する側として出席しました。その時に改めて思ったのは、「ああ、キリスト教会の葬儀ってやっぱりいいなぁ」ということでした。
もちろん、私が牧師だから、クリスチャンだからそう思う部分もあるのかもしれません。しかし、私が葬儀を司式した時に、参列されたご遺族や参列された方々からも「キリスト教の葬儀いいですね!」と声をかけていただくことがよくあります。その方々はクリスチャンというわけではなく、「初めて教会に来ました」、「初めてキリスト教の葬儀に参列しました」という方も多いです。
参列者の心を動かす葬儀
では、葬儀に出席される方々の心を動かすのは何なのでしょうか? もちろん、葬儀ですから、生前に故人と繋がりのあった方々はいろいろな思い出や寂しさ、悲しみを胸に抱えて参列しています。それだけでも心が大きく動かされます。しかし、それだけではなく、故人が大切にしていた讃美歌を参列者全員で歌い、故人が大切にしていた聖書の言葉に耳を傾け、故人について牧師がその人となりや出来事、歩み、大切にしておられたことなどを話します。そこで改めて参列者は故人が大切にしておられたこと、故人から手渡されたこと、故人から教えられたことなどを再確認することができます。また、故人の知らなかった出来事などにも接することができます。そのようなキリスト教の葬儀を通し、存分に大切な人を感じ、想い、天国にお送りすることができるのです。
冒頭で触れた恩師の葬儀の際には、やはり恩師が生前に大切にしておられたことやさまざまなエピソードが牧師先生によって語られました。それを聞きながら、私自身が恩師にお世話になったことや一緒に過ごさせていただいたことを思い出し、また、在りし日にたくさんの大切なことを教えていただいた事を思い起こしました。葬儀というとこの地上での最期の別れの時なので、大きな寂しさや悲しさで心がいっぱいになりますが、それだけではなく、「故人から教えられたことを大切に歩んで行こう」と前向きな気持ちにもなれました。これはキリスト教の葬儀ならではだなと感じます。
キリスト教の葬儀を行いたい人へ
よく、「クリスチャンでないと教会で葬儀をあげられないのですか」と聞かれることがあります。これは教会によっても、牧師によっても判断が分かれるところかもしれません。そのような求めに対する窓口としても私たちが行っている「ともなる」という事業で牧師派遣をしたり、教会によっては会場提供も可能な場合があります。知人や親戚の葬儀でキリスト教の葬儀に参列し、その良さに触れた。キリスト教の乳幼児施設(幼稚園、保育園、こども園)に通っていた。キリスト教主義学校(小学校、中学校、高校)に通っていた。キリスト教の大学や短期大学に通っていた。小さい頃に教会学校に通っていた、など現在教会に通っていなくても、キリスト教に触れた経験がある方も大勢おられるのではないでしょうか。
そのあなたが確かにこの地上で生き、その歩みの中で大切にしてこられたことを言葉化し、遺された方々に悲しみや寂しさだけではなく、そっと背中を押してあげたり、大きな慰めがあたえられるキリスト教ならではの温かい葬儀を行うことは、教会に通っていない方でも可能です。そのために、私たち牧師は、天に召された方の在りし日のことをご遺族などにお聞きし、心を込めて葬儀の準備を行います。キリスト教の葬儀に興味を持たれたり、質問などがある方は、ぜひ私たち株式会社グレープヴァインが運営する「ともなる」事業部にご連絡ください。