ロック・ミュージシャンで世界三大ギタリストの一人と呼ばれるエリック・クラプトンは若くして富と名声を得た結果、ロック・スターと呼ばれた人々が陥る享楽的生き方に陥り、長く薬物依存・アルコール依存に苦しむこととなる。

しかし、1987年、息子コナーの「良い父親」になるために、息子の前で「素面(しらふ)」でいると約束し、アルコール依存からのリハビリを始める。そのリハビリ生活の中で祈りに導かれる。
深い悲しみから、神への深い問いへ
祈りによって立ち直ったように見えたクラプトンを予想もしなかった悲劇が襲う。1991年、ニューヨークのアパートからの転落事故で当時4歳だった息子コナーが亡くなってしまう。それは依存症から抜け出そうとしてきたクラプトンの努力を台無しにしてしまっても不思議ではないほどの出来事だった。
深い悲しみは、やがて神への深い問いとなり、その問いは、次第にクラプトンの目を命の終わりの向こう側へと向けさせる。

息子の死の悲しみの中から紡ぎ出された「Tears in Heaven」は歌う。
もしも天国で君と出会ったなら、
手をつないでくれるかな。
もしも天国で君と出会ったなら、
支えてくれるかな。
僕は強くいなくてはね、
そして前へ進まないとね。
だって、ここ天国は
まだ僕がいる場所ではないんだから。
傷みを抱えたまま、希望に生きる
愛する息子の死によってクラプトの心は傷ついた。死を考えてしまうほどに。
わたしはお前たちに新しい心を与え、
お前たちの中に
新しい霊を置く。
わたしはお前たちの体から石の心を
取り除き、
肉の心を与える。
エゼキエル書36章26節

柔らかく温かな肉の心とは、傷つく心でもある。石の心は傷つかない。肉の心は、傷つき、血を流し、痛む。しかし、その傷みの中で、その傷みに自分の傷を重ねてくださる「復活の主イエス」に出会う。わたしたちは、「傷み」を抱えたままでも、「希望」に生きることができる。
『Tears in Heaven』
Eric Patrick Clapton(エリック・クラプトン)