ポーランドの聖職者ピオトル・トゥルジンスキーの死去
2022年以降、海外で居住するポーランド人移民への司牧担当として、活躍したピオトル・トゥルジンスキーが2025年4月14日に死去しました。
移民への司牧担当と耳にした際、「国内に流入する移民を国内宗教へ内包していく」
と受け取る方も多いかと思います。
しかし、ポーランドでは、1989年の共産主義政権崩壊以降、人口の0.5% (100,000人)が国外移住し、2008年には、2.3% (600,000人)となりました。現在、主に若いポーランド人を中心として約200万人(非公式人数、含まず)が、他のEU諸国で労働移民となり移住しています。
この世界へ散らばったポーランド人ですが、本当に凄まじい数字です。
国内3700万人、アメリカ1000万人、ドイツ200万人、ブラジル180万人、カナダ100万人、フランス100万人、イギリス68万人程度となっており、日本に置き換えると、3200万人程度がアメリカにいることになります。
ポーランド系アメリカ人は、アメリカの総人口の3%を占めており、アメリカの政治経済において無視できない存在です。
ポーランドは、WWⅠ後の独立を回復後も経済的に困窮を極め、追い討ちのようにWWⅡのナチス・ソ連の侵攻、共産主義政権下で多くのポーランド人が流出し、人口の1/3程度がアメリカ国内で暮らすという状態であり、その移民コミュニティーの維持に努めてきたピオトル・トゥルジンスキー司教の役割は大きいと言えるでしょう。その証拠に死後、ポーランド復興勲章将校十字章を受勲しています。
ピオトル・トゥルジンスキーの人生
ピオトル・トゥルジンスキーは、高校在学中に教会を中心とした小規模な信仰を深めるライトライフ運動に関わり、それからの教会人生が始まっています。
ポーランド人民共和国では宗教弾圧もあり、高校生での活動はそれなりにリスクを学んだことでした。
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『ポーランドにおける宗教と政治─ポーランド政府の共産主義政策におけるキリスト教的な観念と象徴』
その後、ローマのグレゴリアン大学で博士号を取得。その後もキャリアを重ね、生まれ育ったラドム教区の聖母マリア保護大聖堂の司教になりました。
ラドムのエリアで地域教育等にも従事し続けたこともあり、ラドム市長よりベネ メレンティ チビタス ラドミエンシス メダルを授与されています。
ロシアによるウクライナ侵攻があり、ポーランドの政治的状況は非常に緊迫した状況にあります。
ポーランドの受難を象徴する国外移民とポーランドを象徴する宗教を繋げる司教の死は、これからのポーランドにどういった意味をもたらすのでしょうか?
牧師コラム
終活とは?〜最期の時と生きること〜https://christianstylefuneral.com/shukatsu/